中国の違法占領72周年に関する東トルキスタン亡命政府からの声明

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以下の声明は、東トルキスタン亡命政府の執行評議会によるものです。

72年前の10月13日、中華人民共和国(中国)は、現代諸国が互いに関与する規範である国際法を違反し、西側に位置する隣国東トルキスタン亡の主権と領土保全を違反し、クムルに侵攻し占領した。

1949年10月13日、王震将軍が指揮する人民解放軍の第2軍団と第6軍団は、人民解放軍の第1野戦軍の指揮官である彭徳懐将軍の指揮の下、ガンスから東トルキスタンへの侵攻を開始し、東トルキスタン東部のクムル地域に侵入した。

機密解除された通信によると、1949年10月12日に毛沢東がソビエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンに電報[暗号化された電報番号:58986]を送信したことが示されている。東トルキスタンを占領するために、燃料、航空機、および人員の支援を要求している。

スターリンは1949年10月14日に電報[番号:4159] で、 人民解放軍を東トルキスタンのウルムチに空輸支援をすることに同意し、同時に、蘭州からクムルに空輸される他の 人民解放軍に燃料等補給品を提供すると、返信した。

1949年12月22日、 中国は人民解放軍を用いて、独立国家東トルキスタン共和国を強制的に転覆させ、中国による東トルキスタンを軍事占領し、今日まで続いている。

1949年10月13日の 中国 による東トルキスタンの侵略は、中国中華人民共和国建国のわずか12日後、長期にわたる植民地化、占領、大量虐殺が始まり、今日も続いている。

中国は、東トルキスタンの侵略とその後の占領を恥知らずにも「平和的解放」と呼んでいる。しかし、歴史的記録は、中国の東トルキスタンへの侵略とその後の占領は決して平和的なものではないことを示している。中国は、東トルキスタンの人々からの激しい抵抗に遭っていた。

1952年1月1日のウルムチラジオ(現在の新疆ラジオテレビ局)の放送によると、東トルキスタンでは合計12万人の「中国の敵」が「排除」された。1954年3月のウルムチラジオからの別の報告によると、東トルキスタンでは約3万人の「地元の反革命的反乱軍」が排除され、占領の最初の数年間に少なくとも15万人の東トルキスタン人が中国の侵略者によって殺害された。

植民地化と大量虐殺の残忍なキャンペーンに直面しているにもかかわらず、東トルキスタンとその人々は、中国と東トルキスタンの紛争開始時同様、中国による占領に東トルキスタンの人々は執拗に抵抗し続けている。

中国によって占領された独立国家東トルキスタンは、「新疆」ではないこの単純な真実を、私たちは、この厳粛な記念日にここで再確認する。

赤十字国際委員会によると、国際占領法の適用は、その占領が安全保障理事会の承認を受けているか否か、その目的は何か、あるいは実際にそれが「侵略」、「解放」、「管轄」や「占領」と呼ばれているか否かとは関係ないとされている。

私たちは、国際社会に、特に植民地化、占領、大量虐殺、領土保全の違反などの犠牲となっていた国々が、東トルキスタンとその国民と連帯し、支援するよう要請する。

私たちは、世界各国に対し、中国による東トルキスタンの違法な軍事占領を正式に認め、国の主権を回復し、領土保全を維持するために利用できる外交的、法的、政治的、およびその他すべての手段を通じて東トルキスタンを支援することを要請する。

東トルキスタンとその国民は、いまも今後も、中国による東トルキスタンの占領を「解放」とは認めない、中国の支配に服従することもない。私たちは、東トルキスタンでの植民地化、大量虐殺、占領という中国の長期にわたるキャンペーンに抵抗し続け、私たちの独立を回復するために積極的に戦う。

私たちは、中国帝国の終焉が近いと固く信じている。ソビエト帝国のように、邪悪な中国帝国も崩壊する。東トルキスタンは、人類の人権改善に貢献する平和で民主的で繁栄した共和国として、必ず正当な独立を取り戻す。

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ETGovExile_Japan

主に中国占領下の東トルキスタン各トルコ系人々の代表として活動中の亡命政府からの公式情報及び日本独自のブログ等を投稿します。 転送・拡散・ご支援を宜しくお願い致します。
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