東トルキスタンの国家独立

東トルキスタン亡命政府は、東トルキスタンの国家独立を回復させなければ、基本的な人権や宗教の自由を守ることは到底できないこと、東トルキスタンという我が領土が永遠に失われること、その土地で生活しているウイグル人および他のトルコ系民族が地球上から消されてしまうことを固く信じて疑わないです。 したがって、東トルキスタン亡命政府は、70年前の東トルキスタンの独立を再度回復するために、20世紀に2回も成立した独立国家―東トルキスタンイスラム共和国と東トルキスタン共和国の先輩の足跡を辿って、中国共産党に対する全面闘争を続けていくしか道がありません。

東トルキスタンのカシュガルのトゥメン川沿いに集まった2万人(7,000人の軍隊を含む)は、
1933年11月12日に独立宣言と東トルキスタン共和国の形成を目撃しました。

植民地諸国および国民への独立性の付与に関する国連宣言

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前文と本文7項目で構成されている。

  1. 外国による隷属・支配、基本的人権の否定を構成する詐取、これらへの人々の従属は国連連合憲章に反するもので、世界平和と協力の推進にとっての障害である。
  2. 全ての人々には自決権があり、その権利によって、自由に自らの政治的な地位を決め、自由に自らの経済的・社会的・文化的な開発を遂行することを得る。
  3. 政治、経済、社会、教育の準備の不十分が独立を遅延させるための口実とは決してはならない。
  4. 従属する人々に向けられる全ての武力行使やすべての種類の抑圧手段は、人々が独立を完了する権利を平和かつ自由に行使することができるために停止されねばならない。人々の領土保全は尊重されねばならない。
  5. 無条件あるいは留保無しで、自由に表現される意思と欲求に従い、人種、信条または肌の色の違いに関わらず、人々が独立と自由を達成するために、信託統治権、被自治統治領や独立を未達成の他の全ての領域の人々へ全ての力を譲渡するための即座の処置がとられねばならない。
  6. 部分的であれ全面的であれ、国民的統合と領土保全の分裂を狙ったいかなる試みも、国連憲章の目的と原理と相容れない。
  7. 全ての国家は、国連憲章の条項、世界人権宣言、今日ある平等を基礎とした宣言を忠実かつ厳密に遵守し、全ての人々の主権と領土保全を尊重せねばならない。

1949年、中国共産党軍はソ連軍の強力な軍事支援を背景に、独立主権国東トルキスタン共和国を侵略し、数十万人が虐殺され、政府は転覆し、国民は征服されました。以来、中国共産党の占領が進み、普遍的な自由は東トルキスタンから消え始めました。

70年間以来、中国共産党と中国人(主に漢人)は東トルキスタンの人々、特にウイグル人を敵と見なして不当な、理不尽なレッテルをはり、まず東トルキスタン共和国が存在した事実から否定し、東トルキスタンにおけるユニークな民族のアイデンティティ、文化的なアイデンティティ、宗教的なアイデンティティを批判し、ウイグル語をはじめ、徐々にカザフ語、キルギス語などのトルコ語系言語を教育システムから排除し、独特の言語・文化・歴史・伝統・宗教ないし生存の環境を破壊してきました。自分自身で署名した人々の普遍的権利を守る一連の国際法を自分自身で平気で破ります。当然、中国共産党の人類に対する傲慢な態度、乱暴な行為、残忍な手段は益々世界中の人々を改めて再認識させています。

  • 一部の学者によると、東トルキスタンの人々、特にウイグル人が歴史上、はっきりした独特な文化を持って生き延びってきました。実際、権威のあるウイグル人あるいはトルコ人の学者は、ウイグル人の文化が漢民族文明より遥か前にあったと述べています。しかし、国連に代表権がなかったため、世界は中国共産党の占領と破壊をただ黙視しているばからです。
  • 満州清王朝にしろ、モンゴルの統治時代にしろ、そして中国の歴代王朝の歴史記録および文献にしろ、「東トルキスタンは中国の古代から不可欠な一部」という記載がありません。
  • 歴史上、モンゴル、英領インド、オスマン帝国、アフガニスタン王国、チベット、ロシア帝国、ソビエトロシア、帝国日本を含むいくつかの国は、東トルキスタンを独立国家として認識し、また中国政府と関連なく直接東トルキスタンと貿易をしてきました。
  • 東トルキスタンの人々は、20世紀に東トルキスタンイスラム共和国(1933〜1934年)、東トルキスタン共和国(1944〜1949年)という独立国家を2回宣言しました。後者はソ連共産党と中国共産党からなる共産主義陣営の力によって崩壊してしました。
  • 中国共産党の占領当時、東トルキスタンは、国際法で定義された領域(東トルキスタン)、人民(ウイグル人及び他のトルコ系民族)、主権(東トルキスタン共和国政権)という三要素をすべて有していました。また、東トルキスタン共和国は当時、独立した主権国家として内政と国際関係を遂行する能力を含む、国際法に基づく国家の属性をすべて有していました。
  • 東トルキスタン共和国は当時、自分の国軍を持っていました。国崩壊後、1949年12月22日にこの国軍は、中国人民解放軍(つまり、中国共産党の軍隊)第5軍団に組み込まれました。
  • 1952年、中国共産党は、元東トルキスタン共和国と関係のあるすべての知識人、学者、指導者を追放するキャンペーンを開始しました。
  • 中国共産党当局は、東トルキスタンの人々を抑制・鎮圧するために、強制労働を通じて東トルキスタンを植民地化するために、1954年に「新疆生産建設兵団」を設立しまして、ウイグル人及び他のトルコ系民族の居住地の周りに十数の師団を配置しました。
  • 1949年頃、中国共産党は、東トルキスタン共和国代表との交渉で、「中華人民共和国は東トルキスタンの建設・発展を助け、3~5年後に撤収する」という約束をしましたが、東トルキスタン共和国側がその約束を真剣に信じ込んでいました。
  • しかし、中国共産党は、約束を破り、1955年に東トルキスタンを「新疆ウイグル自治区」と名付け、正式に中華人共和国の領土に合併しました。
  • 1959年、米国議会は、「他国の領土を略奪して、そうしてその国の主権を侵害し、違法に支配することは、国際法違反である。このような違法行為を断行して非難することは我が米国の政策である」と宣言しました。1986-90年代、米国は共同決議で、ソビエトが帝国主義政策を実施したため、国家の独立を失った国家のリストのなかでトルキスタン(西トルキスタン・東トルキスタンを指す)を列挙しました。