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新疆で十年間暮らしたカナダ人夫妻が沈黙を破りウイグル人について語る

Andrea and Gary Dyck lived in the Xinjiang Uyghur Autonomous Region for a decade, leaving in 2018. They are now speaking out about the oppression of Uyghur people they witnessed in the years prior to their return to Canada.
Andrea Dycks and her husband Gary
This Manitoba couple lived in Xinjiang for 10 years. They can no longer stay silent about what they saw

By Joanna ChiuVancouver Bureau
Jeremy NuttallVancouver BureauWed., April 21, 2021.  の記事を以下の通り和訳。

バンクーバー局発:中国北西部に位置する新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)にある都市・トルファン市に住んでいたカナダ人2人が、近所の歩道を歩いた時に目の当たりにした出来事は、周りの人々を唖然とさせた。

1人のウイグル人が不意警察官の足につまずいてよろめいた。

30代の警察官は、顔をしかめ、激怒して彼の首を両手でつかみ、道路交差点に遍在する警察交番の1つに引きずった。周りにいた人々は目を逸らし、あえてみないようにしていた。中には無理に笑顔を作る人もいた。

「誰も警察に気づかれることを望まなかったので、人々は見ないふりをしていて落ち着いた行動をとった」とアンドレアさんは2017年の出来事を振り返る。

マニトバ州の小さな町から来たアンドレアさんと夫のゲイリーさんは、新疆にほぼ10年間住んでいた。彼らはウイグル語と中国語に堪能であり、知人の殆どはウイグル人家族や「普通のサラリーマン」だった。

この夫婦が最初は中央アジアにおける貧困緩和NGOの仕事に携わったが、その後、トルファンで会社を設立し、農業廃棄物の処理や、堆肥を作り、地元の農家に販売していた。

帰国後、最近になって彼らは当時目撃した恐ろしい状況について話をし始めた。実は、現地でウイグル人や他のイスラム教徒から推定百万人が「再教育」のために強制収容所に連行された。

アメリカなどの国々の政府が、ウイグル人や他のイスラム教徒の少数派に対する絶え間ない悪政をジエノサイドと宣言したことによって、中国共産党に対する圧力が高まってきた。2021年2月に、カナダ議会で提出された関連動議が、現地でジェノサイドが行われているという共通認識を持って266-0票で可決された。自由党内閣は棄権した。

今、アンドレアさんは、新疆ウイグル自治区における10年間におよぶ生活体験や、及びウイグル人に対する大規模な、凄まじい取り締まりに関して、またこの一連の出来事が最終的に彼らを余儀なくカナダに追いやられた理由になったことについて話すことを決心した。

最初は、道路に大量なバリケードや必要以上の監視カメラ―などの保安設備が現れた時、アンドレアさんの知人達が中国政府は本当にテロリストを根絶しようとしており、またすべての主要道路における検問所を強化し、ウイグル人たちを保護するとまで信じていた。

しかし、カナダ人家族は自治区首府ウルムチに住んでいた2009年に、ついに路上でウイグル人と中国の絶対多数民族・漢人との間で激しい衝突が発生してしまった。

アパート16階の窓から、下に大勢の人が押し寄せてもうもうとした砂煙が立ち上がったのを見たアメリカ人の友人が直ちに家族に外に出ないように警告した。民衆はその場をしのぐ武器やナイフで攻撃し合っていた。

中国の新疆ウイグル自治区で父親が運んでいるウイグル人の少年のゲイリー・ダイクが撮影した写真。 ダイクと彼の妻アンドレアは、セキュリティ対策の強化により、10年後にこの地域を去りました。

中国当局は、国際メディアが犠牲者の数を確認することを妨害して、犠牲者は約200人で殆ど漢人だったと発表した。警察は暴動を鎮圧してから、大勢のウイグル人が姿を消した。一夜にして、アンドレアさんは中国の遠い西部辺鄙地域周辺まで治安部隊が想像をこえるほどの割合で増加するのを見た。

「すべてのレストランにはスキャンマシンがあり、トマトを買うだけでも警備員の前を通らなければならない」とゲイリーさんは言う。

夫婦は、カナダ人権博物館が主催する木曜日の公開バーチャルイベントトに先立ってスターの取材を受けました。

ある灼熱の日、早く冷たいペプシを手に入れたく持ち場をこっそり立ち去った警官一人が、上司に見つかり、ひどく叱りつけられた出来事があった。それを思い出し、ゲイリーさんが「以前は人種間の緊張関係に気づいていたが、暴動後、その険悪な感情がいつ爆発しておかしくなかった。

中国人とウイグル人は互いに信頼せず、警察はテロ攻撃が直ぐにでも起きるように緊張していた」と述べた。

警察車両は急スピードで市街地をぐるぐる走り回るようになった。

アンドレアさんは、「通常ウイグル人女性はほとんどが頭をスカーフで覆うが、その時からイスラム教女性のスカーフ着用が禁止始まったので、着用する人は急激に減った」と言う。

「彼女たちはこれまで髪の毛の露出を人に見せることなく、恥ずかしそうに顔を覆っていたのに」と彼女は言う。

「職場で毎日プロパガンダ会議があり、友人達は非常に疲れていて、日常起こっていることにいちいち反応するエネルギーすらなかった。」

官庁で働いていた友人が、毎晩事務所で寝泊まりを強要された。彼女は、休日に寄宿学校から帰宅した息子に夕食を作るために事務所を離れることも許されなかった。

後に、収容所に連行され、姿を消した人々のことを密かにささやく人が増えた。アンドレア夫婦はこの地域に住む唯一の外国人家族であったので、ウイグル人の友人は、彼らを信頼して話してくれた。

「知人女性の妹が、数年前に観光客として国際旅行したことが理由で収容所に連行された。彼女は年配の両親と兄弟の子供たちの主な介護者だった。彼女がいなくなって、その家族は崩壊した」とアンドレアさんは言う。

「私たちが住いから1つの収容所が見えていた…わずか10分ぐらい離れていたところです。」

敷地は少なくとも15フィートの高さの壁に囲まれ、セキュリティカメラと複数のゲートを備えた入り口があった。中庭を囲む壁に沿ってかみそりの刃が見えた。

ご夫婦の推定では、トルファンの周辺農村では、2018年半ばまでに、農民の約3分の1が収容所に連行されたか、あるいは家族から遠く離れた中国内陸地域で仕事を強いられていた。ウイグル人農民達は彼らの堆肥販売の顧客でした。
新疆ウイグル自治区に関して、中国政府に対する圧力が高まりつつ、地域内に起こっている事態が報道されるようになったので、この夫妻も木曜日のパネルに参加することを決めたそうだ。

月曜日に、NGOヒューマン・ライツ・ウォッチは、新疆ウイグル自治区でのイベントに関するレポートでは「彼らの血統を破壊し、彼らのルーツを絶つ」との題で発表された。

報告書などによると、近年、100万人以上のウイグル人やその他トルク系人々が恣意的に拘留された後、最大400の施設に送られていると推定されている。そこでは、彼らは拷問、強制労働、また様々な虐待的な扱いを受けていると述べられている。

「抑圧は監禁施設外でも行われつつある」と指摘されている。「中国当局は、トルコ系イスラム教の人々に対して、大量監視、移動の管理、恣意的逮捕と強制失踪、文化的および宗教的抹消、家族の分離などが広範でシステム的に行っている」。

中国政府の2017年統計によると、新疆ウイグル自治区の人口が中国全人口の1.5%しか占めないにもかかわらず、逮捕者数は全国逮捕者数の21%に達しているという。

ウイグル人の子供たちは、大規模なセキュリティ制限の前に、新疆ウイグル自治区のトルファンの公園で遊んでいます。 アンドレアとゲイリー・ダイクの2人のカナダ人は、この地域のウイグル人の生活を困難にし、恐れている大規模な安全対策のために、10年間そこに住んでいた後にこの地域を去ったと言います。

他の報告が、拘留された人々に対する拷問と性的暴行の詳細を国際メディアとカナダ議会委員会に伝えた。政治的教化も収容所の主要な機能だった。

「中国は、強制収容所を単なる職業訓練センターであると主張している。しかし、ウイグル人が中国人の指示から少しでも外れた場合は、すぐ収容所に強制監禁されるという脅威に絶えず受けなければならない」とアンドレアさんが言う。

アンドレアさんが「逮捕者数があまりにも多かったため、10代息子の友人が、いつでも理由を問わず収容所に連行される可能性があると感じ、18歳になることを恐れていた。若い男性の多くは、イスラム教認識から距離を置こうとして、自分たちが喫煙または飲酒している写真をソーシャルメディアに投稿するようになった」と述べた。

「あの少年たちが18歳になるのを恐れているのを見てあまりにも辛かった」とアンドレアさんは言う。「彼らは収容所に連行される危険にさらされている。そして彼らはそれを知っていた。」

この地域に10年間住み、ビジネスを始め、2つの言語を学んだ後、ダイク夫婦はカナダに戻ることにした。

保安対策の強化で、5分間で行ける近所に行くにも20分かかるなど、日常生活を煩わしくなった。ご夫婦は、自分たちが知っているウイグル人を外国人との関係で危険にさらされているのではないかと心配してきた。

2018年5月の、この地域をやむを得ず去る前日のことについて話すと、2人が当日の記憶が蘇り、目には涙が溢れていた。

「彼らが 『私たちを忘れないでください』と言った」とアンドレアさんは言う。「私たちが彼らを覚えているだけで、彼らが存命し続け、助けられると思っただろう」

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